青猫
2005年11月25日『青猫』について語ろう。萩原朔太郎の詩集、青猫である。
何故ならば、俺の勝手な意見かもしれないが、
『青猫』から浮かんでくる情景というのが、都会であり、
都会に憧れる萩原朔太郎の姿だからだ。
俺は大学生だ。何はばからず自由奔放に生き、
社会の楽しさも、苦しさも、まだ何も知らない青二才だ。
そんな俺は来春、本州の方へちょっくら就職をしに行く。
俺は子供の頃から田舎暮らしだった。
ゲーセン?カラオケ?なんじゃそりゃ?な町に生を受け育ってきたのだ。
遊びと言えば秘密基地作りや釣り、山の散策だった。
札幌に出てきたのが4年前。少しは垢抜けたのだろうか?
そんな俺が今の土地より幾分か都会な土地へ行く。
その辺が少し、都会への脅威、憧れ、好奇心を抱く萩原朔太郎にダブるっちゃぁダブる。
ダブらないっちゃぁ〜ダブらない。ということで、今更ながら『青猫』だ。
この詩集の3大タイトルは『愛』と『都会』と『思想』であると思う。
俺が何も知る由はないが、この時期、作者は不安定が安定に移行していく
最中だったんじゃないか、と感じる。
自分の思想を肯定したいしたくない云々よりも他人の思想に
自分の思想を固められ、型にハメられ、形式化されるのを拒みたかったんじゃなかろうか?
あるがままでよい、と、そんな風にも見える。
それは愛の在り方や形でもあり、ひどく弱い自分を受け入れてくれる人を探しているというか。
あるがままの自分を見て、それでも、受け入れてくれる人。
互いに認め合える人がいる、ということで不安や焦燥を押し殺したかったんじゃないだろうか?
そういう思想を持ち合うことが『都会』ということであり、
その『都会』に対し、不安や憧れを抱いていた。と。
都会ってのはまんま都会ってことでもないだろうしな。
浅すぎるか・・・。そうか・・・。
ひさびさの 王大人、死亡確認!!
何故ならば、俺の勝手な意見かもしれないが、
『青猫』から浮かんでくる情景というのが、都会であり、
都会に憧れる萩原朔太郎の姿だからだ。
俺は大学生だ。何はばからず自由奔放に生き、
社会の楽しさも、苦しさも、まだ何も知らない青二才だ。
そんな俺は来春、本州の方へちょっくら就職をしに行く。
俺は子供の頃から田舎暮らしだった。
ゲーセン?カラオケ?なんじゃそりゃ?な町に生を受け育ってきたのだ。
遊びと言えば秘密基地作りや釣り、山の散策だった。
札幌に出てきたのが4年前。少しは垢抜けたのだろうか?
そんな俺が今の土地より幾分か都会な土地へ行く。
その辺が少し、都会への脅威、憧れ、好奇心を抱く萩原朔太郎にダブるっちゃぁダブる。
ダブらないっちゃぁ〜ダブらない。ということで、今更ながら『青猫』だ。
この詩集の3大タイトルは『愛』と『都会』と『思想』であると思う。
俺が何も知る由はないが、この時期、作者は不安定が安定に移行していく
最中だったんじゃないか、と感じる。
自分の思想を肯定したいしたくない云々よりも他人の思想に
自分の思想を固められ、型にハメられ、形式化されるのを拒みたかったんじゃなかろうか?
あるがままでよい、と、そんな風にも見える。
それは愛の在り方や形でもあり、ひどく弱い自分を受け入れてくれる人を探しているというか。
あるがままの自分を見て、それでも、受け入れてくれる人。
互いに認め合える人がいる、ということで不安や焦燥を押し殺したかったんじゃないだろうか?
そういう思想を持ち合うことが『都会』ということであり、
その『都会』に対し、不安や憧れを抱いていた。と。
都会ってのはまんま都会ってことでもないだろうしな。
浅すぎるか・・・。そうか・・・。
ひさびさの 王大人、死亡確認!!
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