自分の名前は好きですか?
2005年12月11日白は白と名付けられる前から白かった。
空気は空気と名付けられる前から空気だった。
自由も自由と名付けられる前から自由だったはずだし
愛も愛と名付けられる前から愛だったはずだ。
だけど俺は俺の名前を与えられる前、俺ではなかったように感じる。
俺は名付けられて初めて俺になったんじゃないだろうか?
固有名詞だからってか?インテリは風呂でも入って寝ろ。
感覚の問題だ。
白や空気とかは固定されてる。いつの時代の誰にでも白は白だ。
自由や愛やら勇気やら、それは流動的な言葉であって
時代にも個人にもよって変わるだろう。
例えばビデオカメラで何か映像を撮って、
落ちてる石は白や空気であり、飛ぶ蝿は自由や愛だ。
(固定、流動で言えばの話だが・・・)
では“自分”は何か。
“自分”は自分でしか在り得ないのではないか?
つまり例えの中では、ビデオを見ている人。その映像を捉えている意識。
自分で自分を捉えるのは難しい。
だからこそ名前が役に立つ。
産まれて初めて与えられる自己確立だ。
俺はその瞬間俺として確立したんだなぁ。
空気は空気と名付けられる前から空気だった。
自由も自由と名付けられる前から自由だったはずだし
愛も愛と名付けられる前から愛だったはずだ。
だけど俺は俺の名前を与えられる前、俺ではなかったように感じる。
俺は名付けられて初めて俺になったんじゃないだろうか?
固有名詞だからってか?インテリは風呂でも入って寝ろ。
感覚の問題だ。
白や空気とかは固定されてる。いつの時代の誰にでも白は白だ。
自由や愛やら勇気やら、それは流動的な言葉であって
時代にも個人にもよって変わるだろう。
例えばビデオカメラで何か映像を撮って、
落ちてる石は白や空気であり、飛ぶ蝿は自由や愛だ。
(固定、流動で言えばの話だが・・・)
では“自分”は何か。
“自分”は自分でしか在り得ないのではないか?
つまり例えの中では、ビデオを見ている人。その映像を捉えている意識。
自分で自分を捉えるのは難しい。
だからこそ名前が役に立つ。
産まれて初めて与えられる自己確立だ。
俺はその瞬間俺として確立したんだなぁ。
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