白は白と名付けられる前から白かった。
空気は空気と名付けられる前から空気だった。
自由も自由と名付けられる前から自由だったはずだし
愛も愛と名付けられる前から愛だったはずだ。

だけど俺は俺の名前を与えられる前、俺ではなかったように感じる。
俺は名付けられて初めて俺になったんじゃないだろうか?

固有名詞だからってか?インテリは風呂でも入って寝ろ。

感覚の問題だ。

白や空気とかは固定されてる。いつの時代の誰にでも白は白だ。
自由や愛やら勇気やら、それは流動的な言葉であって
時代にも個人にもよって変わるだろう。

例えばビデオカメラで何か映像を撮って、
落ちてる石は白や空気であり、飛ぶ蝿は自由や愛だ。
(固定、流動で言えばの話だが・・・)
では“自分”は何か。

“自分”は自分でしか在り得ないのではないか?
つまり例えの中では、ビデオを見ている人。その映像を捉えている意識。
自分で自分を捉えるのは難しい。

だからこそ名前が役に立つ。
産まれて初めて与えられる自己確立だ。
俺はその瞬間俺として確立したんだなぁ。

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