落語は面白いのよ。
俺の好きな話・・・いや、噺は名前こそ忘れたけどおおよそこんなストーリー。

主人公の家に「かくまって」と男1が来る。主人公は男1を押入れに隠す。
すると男2が男1を捜して主人公の家へ来る。
男2は最悪なことに主人公の家に上がりこみ、茶なんぞをすすり始める。
そして主人公はあの手この手を使い、男1をどうにか男2に見つからずに
家の外へ脱出させるという噺。演題なんだったかなぁ。

文字にするとそっけないけど、この噺、聞く分見る分にはめっぽう面白い。
漫才やコントも笑えるけど、たまには落語で爆笑してみるのも良いのでは?
 
 
 
『今年の目標』は、意地になって自分の意見ばかりを押し通さない、ということでした。
まぁ、目標たてたのはたしか3月くらいですけどね。
それは自分の意見を殺す、ということではなくて、相手の話を聞く、ということです。

ある日、いつものように俺の思っていることを曲げることなく
相手に押し付けるかのように話をしてたんですよ。いや、俺のほうが正しい、って。
そしたら急に、俺は真実のために戦っているのか
それともプライドのために闘っているのか分からなくなってしまったんですねえ。
真実を求めるのか、それとも相手をねじ伏せ勝ちを得たいだけなのか。

いやいや、別にディベートする分にはそういうところが面白いわけであるから
普通にどんな手を用いても相手をねじ伏せりゃいいんだけれども
俺ときたら普段の会話すらもディベートと勘違いをしていたフシがあるのである。
会話はディベートと違って戦闘ではないのである。

俺の意見が正しいのか、友人の言ってることが正しいのか、そんな話をしている時に
ふと、思ってしまったのである。俺は勝ちたいのか?それとも真実を知りたいのか?
ただ、自分の意見が正しいと強く信じていればそれが真実であるのか?いいや、それは違う。
会話の中から、より真実に近いものを得ようとするのならば、相手の意見もちゃんと
聞かなければならない。そう思ったのである。

オウム信者が信じているものを俺らが「馬鹿じゃねーの」と言うのと同じレベルで
俺は間違っていることを正しいと信じていたのかもしれない、という疑問が生じたのだ。
「相手の話を聞く。それも柔軟に。意固地になるな俺。」
もしオウム信者にそれが出来ていれば、あの事件は事前に防げたんじゃなかろうか?
あのアメリカのテロも。イタリアだかイギリスだかのテロも。
それが出来るためには、前述べたとおりの疑問を抱けなくては無理だ。

宗教や国や思想一つの中で育ったら、そんな疑問を抱くのも至難の業なんだろうな。
あんなの真実のためなんかじゃねぇ。信じていることのために闘ったんだべ。
真実と信じていることは決して同じではないのかもしれない、と何故疑問を抱けないんだ!?
抱いているとしたら、何故気付いているのに暴挙に出る!!?
プライドか!?金か!?意地か!?なんだ!なんなのだっ!!?一体なんだと言うんだっ!?
信じるもののために闘うのは美しい、だがそれが著しく正当性に欠けていたらどうする?
「考えること」が最重要課題だな。それを少しずつ分かって行こうじゃないか。

って話が横道(知事)にずれましたな。話戻しましょう。
つまり、俺の転機はそこだったんですよ。
俺が正しいか、相手が正しいか。そこに生じた『真実とはなんぞや?』という疑問。

疑問を抱けた俺ぶらぼー。

というような一年でしたよ。今年は。w
目標が達成されたかどうかは謎であるが、良いのか悪いのか成長といえば成長である。
『人間は一生進化出来ないが、成長はいくらでも出来る。』とはよく言ったもんである。
 
 
ふははははGPZ900R

コメント

nophoto
健太ZRX1200R
2005年12月21日22:14

面白かったよ
横道(笑)

会長・改
会長・改
2005年12月22日16:33

サンクス

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