高校生の頃の話。

俺という人間は、人間らしさというか、そういうやつに嫌悪していた時期があった。
今振り返ると、それはただごねて事実に目を向けるのを嫌がる子供であった。

例を挙げると、

高1の頃。授業中など先生に逆らう生徒。こういう奴らが大嫌いだった。
その生徒の人間自体は友達であり嫌いなわけではなかったが、その考えや態度が嫌いでならなかった。
こういう生徒に限って卒業式に涙を流し『ありがとうございました』と言うんだ。
卒業式に気付くのなら、今、先生に逆らうその行為をやめろ。と思っていた。授業の妨害をするな。と。

この、先生と紆余曲折があり信頼を築き互いに良い関係になる、というプロセスが
俺には理解できなかったのだ。
「もしや、卒業式にドラマのように感動したいからわざとこういう態度で先生を困らせているのでは!?」
とすら感じていた。

でも・・・
いつが転機なのかは分からないが、卒業までにはそんなことはどうでも良くなっていた。
なぜなら、これはどうでも良いことだから。
今ではそんなことに嫌悪し、悩み、苦悩していたことがよく分からない。

ただ、俺は
いつも先生に向かって率先的に反抗していたやつが、卒業式で泣いて先生に感謝していたのを見逃さなかった。
やっぱりな、と思いつつも、前のように嫌悪したりすることは無かった。
理解は出来るが、俺はそういう風になる自信が無い。俺は人間らしさが欠如しているのだろうか?

こういうところに嫌悪したりするのはお世辞にも人間的とは言えないような気がする。
さめているんだろうか?

今は以前より人間的だと思うよ。

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