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おらあ!復活だ!!
2006年6月7日今まで日記として書き溜めていたものがあった。
いつかネットに繋いだら公開しようといろいろ書いた。
しかし、パソコンがぶっ壊れ、リカバリーしてどうにか直したが
データは、結局飛んだ。あーあ。
今回から数回に渡り社会人編立て続けスペシャルとして
寂しい気持ちや、疲れ、ダークな考えや、少し見えた希望、充実など
社会人的な話をします。どら?
仕事を始めて、将来のことを真剣に考えるようになった。
学生時代もそれなりに考えてはいたが、それはまだ社会を知らない時の考え方で、
それは理想と妄想に固められたものでしかなかった。
それが駄目だ、とは言わない。
理想などはとても重要だ。
だがしかし、今の俺にとってのリアルな将来を考えると、
このままでいいのだろうか?と思うのだ。
何度もこのブログで言っているが俺は田舎ものだ。
今、俺は関東の首都圏近くまで出てきている。
北海道の片隅にひっそり生まれ、育ってきた俺が。
俺にとって、今住んでいるこの土地は「早い」のだ。
何が早いのかは自分でもよく分からないが、なんだか人々がせかせかしてるというか。
老若男女、すべての人が生き急いでいる気がしてならないのだ。
そして毒されて、俺までも生き急いでいる感がある。
「これが普通だ」と人は言うよ?
でもその普通はあなたにとってのことで、俺には早いのです。
だらだら生きて行こうとは思わない。
だけど、のんびり生きていたいとは思う。
だらだら生きるのと、のんびり生きるのは違う(と思う)。
今のこの状況は俺にとっての自分で選んだ道であり、試練であり、
修行であり、経験なので俺は受け止めようと思う。もまれようと思う。
1年ないし2年はがんばろうと思う。夢もある。自分で事業を始めたい。
気の会う仲間と店をやりたい。
手に職をつけて、いつまでもやっていけるようになりたい。
これは本当だ。
けど、田舎に戻って、昔のなじみと一緒にのんびり生きたい。
歳をとって、誰にでも訪れる「色々ないつか」の時に親の面倒や兄弟の面倒、
親戚や知り合いの面倒を見てあげたい。そして自分の面倒も見てもらいたい。
これも本当なんだ。
もちろん田舎に戻って仕事で手を抜こうということではない。
田舎に戻っても、仕事はまじめにやるし、田舎のほうが楽だとは思っていない。
むしろほとんどの人が顔見知りで、故郷のほうが大変だと思う。
(その辺は俺の兄が実証済み。)
ただ、将来をリアルに考えたとき、絶対に故郷は俺にとって重要なものだと思うし
戻りたい。故郷で暮らしたいと思う。
これを考えた時、歳をとってからでは遅いと思うのだ。
考えて見なさい。40とか50とかになって、田舎に戻るのだよ?
こんなおっさんを誰が雇うだろう?その歳でコネが通じるか?どうやって金を稼ぐ?
どうやって生きる?
だからリミットは20歳後半から30歳までだと思う。
それまでに俺は人生を改めて考えまくらなければならないと思うのだ。
もう故郷に帰りたい。まだ故郷に帰りたくはない。
どちらも本当だ。
どちらも本当なのだから重要なのは、どの気持ちが本当か、を探ることではなく、
どの気持ちを選んだ(選んできた)のか、を探ること。
先が見えないから、すべてのものが平等。
失敗したと思う人と成功したと思う人、その分かれ目は選んできた道を、
振り返り、推考し、通ってきたか?そしてそうやって通るか?ということ。
必要だと思うもの。
時にはなにも渡さないという強靭な精神力。
時には全てのものを投げ出してしまう大胆さ。
時には繊細に大事に歩く緻密さ。
時には5段飛ばしで階段上るような無鉄砲さ。
考えているうちに時期を逃したら、一生浮いたままなりたい自分になれない気がして。
と思う。
いつかネットに繋いだら公開しようといろいろ書いた。
しかし、パソコンがぶっ壊れ、リカバリーしてどうにか直したが
データは、結局飛んだ。あーあ。
今回から数回に渡り社会人編立て続けスペシャルとして
寂しい気持ちや、疲れ、ダークな考えや、少し見えた希望、充実など
社会人的な話をします。どら?
仕事を始めて、将来のことを真剣に考えるようになった。
学生時代もそれなりに考えてはいたが、それはまだ社会を知らない時の考え方で、
それは理想と妄想に固められたものでしかなかった。
それが駄目だ、とは言わない。
理想などはとても重要だ。
だがしかし、今の俺にとってのリアルな将来を考えると、
このままでいいのだろうか?と思うのだ。
何度もこのブログで言っているが俺は田舎ものだ。
今、俺は関東の首都圏近くまで出てきている。
北海道の片隅にひっそり生まれ、育ってきた俺が。
俺にとって、今住んでいるこの土地は「早い」のだ。
何が早いのかは自分でもよく分からないが、なんだか人々がせかせかしてるというか。
老若男女、すべての人が生き急いでいる気がしてならないのだ。
そして毒されて、俺までも生き急いでいる感がある。
「これが普通だ」と人は言うよ?
でもその普通はあなたにとってのことで、俺には早いのです。
だらだら生きて行こうとは思わない。
だけど、のんびり生きていたいとは思う。
だらだら生きるのと、のんびり生きるのは違う(と思う)。
今のこの状況は俺にとっての自分で選んだ道であり、試練であり、
修行であり、経験なので俺は受け止めようと思う。もまれようと思う。
1年ないし2年はがんばろうと思う。夢もある。自分で事業を始めたい。
気の会う仲間と店をやりたい。
手に職をつけて、いつまでもやっていけるようになりたい。
これは本当だ。
けど、田舎に戻って、昔のなじみと一緒にのんびり生きたい。
歳をとって、誰にでも訪れる「色々ないつか」の時に親の面倒や兄弟の面倒、
親戚や知り合いの面倒を見てあげたい。そして自分の面倒も見てもらいたい。
これも本当なんだ。
もちろん田舎に戻って仕事で手を抜こうということではない。
田舎に戻っても、仕事はまじめにやるし、田舎のほうが楽だとは思っていない。
むしろほとんどの人が顔見知りで、故郷のほうが大変だと思う。
(その辺は俺の兄が実証済み。)
ただ、将来をリアルに考えたとき、絶対に故郷は俺にとって重要なものだと思うし
戻りたい。故郷で暮らしたいと思う。
これを考えた時、歳をとってからでは遅いと思うのだ。
考えて見なさい。40とか50とかになって、田舎に戻るのだよ?
こんなおっさんを誰が雇うだろう?その歳でコネが通じるか?どうやって金を稼ぐ?
どうやって生きる?
だからリミットは20歳後半から30歳までだと思う。
それまでに俺は人生を改めて考えまくらなければならないと思うのだ。
もう故郷に帰りたい。まだ故郷に帰りたくはない。
どちらも本当だ。
どちらも本当なのだから重要なのは、どの気持ちが本当か、を探ることではなく、
どの気持ちを選んだ(選んできた)のか、を探ること。
先が見えないから、すべてのものが平等。
失敗したと思う人と成功したと思う人、その分かれ目は選んできた道を、
振り返り、推考し、通ってきたか?そしてそうやって通るか?ということ。
必要だと思うもの。
時にはなにも渡さないという強靭な精神力。
時には全てのものを投げ出してしまう大胆さ。
時には繊細に大事に歩く緻密さ。
時には5段飛ばしで階段上るような無鉄砲さ。
考えているうちに時期を逃したら、一生浮いたままなりたい自分になれない気がして。
と思う。
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