俺の足で歩く
2006年6月28日自分の生きているテンションが下がると、
他人は不安になり、声をかけてくれる。
だが、生きているテンションが下がっているものだから
その声に対する反応が、いまいち上手くできない。
だから他人はイライラし、怒る。
だから生きているテンションはなお更下がる。
そういう悪循環がある。
どこかで離脱せねば。
生きているテンションが0になったらどうなってしまうのだろう?
それは怖い。
ポジティブに考えよう。
生きるテンションが上がれば、周りのテンションさえあげることができる。
周りのテンションも上がれば、そのことで俺のテンションも上がる。
そして良循環が出来る。
そうだ。そうなんだな。
思いつめる必要はないのか。
長い人生。
あの糞長いとおもってた、つまんねー授業中だって終わらないことはなかった。
人生が終わらないことはないだろうが、
人生が終わったとき、俺はいないのだから、俺の中で人生が終わることもないだろう。
他のやつから見たら俺の人生が終わったように見えるけどな。
じゃぁこの長いとも短いとも言えない人生、自分の足一本で歩く。
俺の足で歩く。
他人は不安になり、声をかけてくれる。
だが、生きているテンションが下がっているものだから
その声に対する反応が、いまいち上手くできない。
だから他人はイライラし、怒る。
だから生きているテンションはなお更下がる。
そういう悪循環がある。
どこかで離脱せねば。
生きているテンションが0になったらどうなってしまうのだろう?
それは怖い。
ポジティブに考えよう。
生きるテンションが上がれば、周りのテンションさえあげることができる。
周りのテンションも上がれば、そのことで俺のテンションも上がる。
そして良循環が出来る。
そうだ。そうなんだな。
思いつめる必要はないのか。
長い人生。
あの糞長いとおもってた、つまんねー授業中だって終わらないことはなかった。
人生が終わらないことはないだろうが、
人生が終わったとき、俺はいないのだから、俺の中で人生が終わることもないだろう。
他のやつから見たら俺の人生が終わったように見えるけどな。
じゃぁこの長いとも短いとも言えない人生、自分の足一本で歩く。
俺の足で歩く。
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