猜疑心

2012年3月4日 日常
俺はね、わりと信じちゃうんだよ。

例え「何があっても一生ついてく」なんて言ってた女の子にフラれたってね。
信じちゃうというか、そういう言葉は受け止めるんだけど
「そんなことより自分の気持ちだ」「まあ言葉だけでも有り難くいただいておくか」って思っちゃうというかね。

そういう言葉をかけられると愛されているなあ、とか
ほんわかした、いい気分になって、もう俺も大好きっ!なんてなっちゃうけど
それはその時発した言葉であって一生有効ではないってことを知っていたり
心変わりや、俺の何か(もしくは自分の何か)を試すために発せられた言葉であったり

言葉だけじゃなくて、態度でもそうで、
ものすごく優しくされて、抱きしめられて、何度キスされたって
冷めるときは冷めるんだろうなって思っているし、
そう思っちゃう自分を以前は嫌っていたけど、今は冷静でいいじゃん、なんて思っているし。

人を認めることと、自分を認めることはとても大事な事だなあ。って思うんだよね。

何かあった時に悪者を探そうとは、もうしないんだ。

自分を好きでいないと、認めていないと、人を本当に好きになれたり認めたりできないんじゃないかって思う。
気分が落ちてると、何にでも自己投影しちゃって、どんなに空が晴れていても物悲しい空だ・・・と思ってしまう。
それと似たような感覚で、自分のことが好きじゃないと、
相手からどんなに想われていても「こいつは本当の俺を知らない。俺のことを本当に好きではない。」とか余計なこと考えちゃうんだよな。

相手が自分より上にいるんじゃねーかとか、
なんかそういうことを考えたり妬んだりする、あるいは置いてけぼりにされたような焦燥感を感じたり、
妙なプライドは捨てようと思ってね。

甘んじて恥をかく用意は整っているので
俺は人のこと、信じようと思うし、一方で裏にある勘ぐる心も捨てようとは思わない。
勘ぐる心がないような聖人君子はほんの一握りで、俺の性にはあってない。

勘ぐる心があるのだから勘ぐればいいだけの話で、悪いこととはもう思っていないよ。
信じると信じないは案外上手く同居できてる。

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